【No.6】教育を個別化する6つの考え方

query_builder 2022/10/20
8つの物語
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放たれよ才能たち
実は、私たちの多くが共有している学習に対する考え方や行動の仕方には、歴史的背景があります。その起源は産業革命[日本では明治維新]にあると言われています。産業革命により、経済の中心は農業→工業へと変化しました。地方から都市へ多くの求職者が流れ、産業革命により生じた労働力の需要に応えるため公教育制度が敷かれたとされています。

学校は、工場と同じく計画され、ライン化に基づいて成り立ちました。活動時間や規則が定められ、経済の需要と供給に従って教育内容は決められ、統一された評価基準によって成績がつけられました。「ベルトコンベア方式」の時間割によって、一日が一定の時間ごとに分けられ、その区切りは「チャイム」によって知らされます。教科という「分業方式」を基本とし、「製造年月日」のように年齢のみによってクラス分けをします。そうして出来上がった学生は「就職に適した」製品として出荷されていくのです。

私たちの知っている教育は、こうした背景をもとに改善を重ねられた結果です。これまでの時代ではこれでよかったかもしれません。
でも私たちは思うのです。
産業革命時代とは違う、新しい前提から教育をスタートさせるべきだと。


教育の個別化とは 型におさまるか、それとも飛び出すか
教育の個別化とは、子どもたちが、自身の興味や感性、才能や強みを独自に追求できるようにすることです。決して、1対1という人数の話ではありません。
そしてこの考え方の根底にあるのは、多様性と創造性です。


教育はカラフルで、人の数だけ咲き方がある
花が開花する条件は、その花によって異なります。それは人間も同じなのです。
子ども一人ひとりによって、成長、学習する環境は異なります。私たちの役割の一つは、一人ひとりの子どもたちの成長、発達、学習のための条件を整えることです。

そのための、私たちが実践する6つの行動を紹介します。
一人ひとりの
  1. 関心に合わせる 科目のグループ化を解除
  2. 時間割を最適化する 
  3. 学習速度に合わせる 
  4. 理解の仕方に合わせる 360° アプローチ
  5. 成長を支える評価をする 
  6. 振る舞いを解き放つハードとソフトを設計する 


  1. 関心や才能に合わせる 科目のグループ化を解除

「夢中になれるものに出会ってほしい」
子どもたちに願うことのひとつだと思います。
ですが、そうは思ってはいても、
どうすればいいのか具体的な行動が分からないことが多いと思います。

自身の才能と情熱が交差する、夢中になれるものというのは、
探して見つけられるものというよりは、探していたら出会うものです。
つまり、本や図鑑、ネットで探せば分かるものではなく、自身の経験を通してのみ理解できるものなのです。

では結局どうすればいいのか。
探究していれば必ず見つかる、それが人生をより豊かにするという絶え間ない「態度」と、それを探すことのできる「機会」、そして出会いを生むための「体験」が必要なのです。

世界には、バイリンガル、トリリンガルが当たり前の国が存在します。ですがそれは、もともと日本人と能力差があるからということではありません。ただ、隣国が他言語で、幼少期から多言語に触れる機会が多かったからです。
私たちが秘めている可能性を発揮できるかどうかは、その機会に依存するのです。

ですが、現代の教育においては、
学習内容といって私たちが思い浮かべるものは
・国社数理英というごく限られた教科です。
もちろんこの教科も意味のあるものです。もともと公教育は、その後控えた就職において即戦力になるよう、そのときそのときの経済状況の需要と供給に応えるべく育まれるべき能力や優先順位をもって科目というものができあがりました。

しかし、学校の外を覗いてみれば、実に様々な領域や活動があり、それらは融合あるいは分離を繰り返し、常に変化しています。もちろん、みんなが共通して学ぶべき事柄はありますが、現代の経済状況は予測不可能なものであること、また人生はあらゆる機会やコントロールのできない状況、急遽迫られる決断などの起伏に富むものです。
それまでに培った豊かな経験が、未来を切りひらくための視点と選択に力を与えるのなら、子どもたちが有意義な日々を送れるために、関心のある事柄や得意なこと、自身の才能を探究、追求できるような、多様性に富むカリキュラムがあるべきなのではないでしょうか。

科目のグループ化を解除することが、子どもたちの才能を解き放つことになるはずです。

  
  1. 時間割を最適化する
時間割は何のために存在しているのだろうか。

もともと学校の時間割は、工場におけるライン生産方式を模したとされています。ベルトコンベアは一定の速度で動き、等時間に区切られた分業作業によって製品が完成していきます。学校に置き換えれば、各教科という分業作業により、同じ50分という時間を使って、チャイムでもって作業を区切るライン生産。
このように現代において時間割は、生徒や先生の行動を管理するためツールのようなものでした。しかし、本来の目的は、学びを促進させるためにあるべきです。
学習内容が異なれば、必要な時間も異なるはず。
みんなで一緒にひとつのモノを作ろうとするならば、必要時間は最低でも2,3時間、でも回数は週に1度くらいでいいかもしれません。対して、英語を学ぶならば、時間はそれほど長くなく、逆に回数は増やした方がいいかもしれません。時間割はそれぞれの活動のニーズや性格に合わせる必要があるのです。子どもたちは活動に心から没頭でき、教育による可能性を最大限発揮できるようになるのです。

子どもたちは、強制力によってではなく、好奇心や向上心を出発点として初めて学びを得ることができるはずです。自分の意志で始めて、追求し続ける学びにこそ意味のある学びになると思うのです。
そして子どもたちはそうした自分の活動に関する選択の権利があるはずです。
教育には、意味ある成果を生み出すための深く学べる余白、ゆとりがが必要なのです。
私たちは、自身の強みや情熱をかけられることの発見、それらを活かした創造的な活動のための時間とスペースを子どもたちに提供します。


  1. 学習速度に合わせる
子どもによって興味関心、思考や行動が異なることは然ることながら、発達の速度、得意不得意も人によって異なることも事実です。
ある子どもは幼い頃からよく本を読み、3歳年上の兄よりも読解力が発達しているが、運動神経の発達は遅れている。ある子どもは数学は得意だけれど、1歳年下の妹よりも英語ができない。などなど。
このように子どもによって物事の発達の度合いは異なるのに対し、塾や学校の多くは、年齢という基準でのみ子どもたちをグループ分けします。
これは生産における「製造年月日」に置き換えられます。品質や製品を管理する点では理にかなっているかもしれません。ですが、実際問題どうでしょうか。社会に出れば年齢はそれほど関係ありません。年齢よりも、どれくらいできるのか、という発達のほうが重視されるはずです。
また、これにより学年の壁を越えて交流が生まれることにより、新たな経験や共生能力が育まれるはずです。
一人ひとりの子どもたちと向き合うために、年齢というグループ分けを今一度見直すことに価値があるはずです。


  1. 理解の仕方に合わせる 360° アプローチ
世の中にはあらゆる勉強方法、学習メソッドがあります。
学習塾の多くは、それぞれの塾にそれぞれの学習メソッドが存在し、このやり方でやれば成績が上がる!というような勉強方法が語られています。実は私たちも以前はそうでした。
こうした価値観は工場生産における「分業作業」の象徴です。分業により、作業を単純化 = 授業方法を単純化、定式化し、先生という作業者の教育コストを低く抑えながらも、効率的な生徒の生産としての授業を実現しようというものです。


ですが、子どもたちを一人ひとり見ていれば、一斉授業でやり方の決められた授業方式では気づいてケアしてあげらないようなある事実に気がつくはずです。
それは、一人ひとりに物事の理解の仕方、学習のアプローチの違いがあるということです。子どもたちは個人個人に独自の世界の見方を持っているのです。

私は実験をしたことがあります。
複数の生徒に、カメラを渡しました。たくさんのボタンやダイヤル、スイッチがあります。どうやって撮るのか、どこがどうなっているのか。さて、子どもたちはどのようにしてカメラを理解するのでしょうか。
分解しようとした生徒、ネットでマニュアルを探す生徒、いろいろ押してみる生徒、持ってみただけで難しそうだからと何もしない生徒、シャッターボタンだけ分かったらもうおしまいにする生徒。

私たちが周囲の世界についてどう考えるかは、私たちの中にある感情に深く影響されます。そして私たちが周囲の世界をどう感じるかは、私たちの知識や経験によって形作られます。映画やドラマをみて涙を流すこと、ある言葉をいい意味で捉えるか悪い意味で捉えるかなど。

学びを生み出す上では、こうした一人ひとりの感性、態度、気質も考慮する必要があります。そう考えると、効率的な方法などないのかもしれません。重要なのは、一人ひとりが大切にしていることを、私たちも大切にするということです。

一人ひとりに"やり方"がある。それぞれの世界の理解の仕方を考慮することも、教育を個別化するためのひとつだと思います。


  1. 日々の学習プロセスと融合させる 評価は一人ひとりの成長をサポートする
私たちは、評価というと点数をつけることだと思ってしまいがちです。
テストの点数や通知表の数字が挙げられますね。そしてそれは、次なる進級や進学に直結するため、最も重要なものと考えられています。つまり、最終的な結果こそが最も重要だと。
ですがこれは大きな間違いだと思います。評価そのものが問題というわけではありません。評価は創造的な教育に欠かせないものです。問題なのは、現在の評価が持つ性質なのです。

現在の評価がもつ性質
・ある課程が終わったときの総合評価とテストをあまりにも重視すること
・その中でも、点数や順位を重視しすぎること
・こうした評価の性質が、子どもたち、さらには先生や学校に過度な圧力やストレスを与えること

・ある課程が終わったときの総合評価とテストをあまりにも重視すること
現代では評価=テストとなり、その目的を見失ってしまっています。たしかに工場でのライン生産では、途中の作業を評価するのではなく、それぞれの過程で完成した部品が規格を満たしているかを評価します。ですが、学習というプロセスには様々な段階があり、あらゆる挑戦や失敗、試行錯誤、改善という過程があります。教育の価値は、完成品だけではなくその過程にもあるのです。

・その中でも、点数や順位を重視しすぎること
通知表のアルファベットや点数という記号は、果たしてどれだけの情報を表現できるでしょうか。従来の考え方では、テストや通知表といった最終的な評価を重視することに加え、「特定の教科」の「数値で表された結果」を重視します。そのため評価は、能力や才能のごく一部に終止し、覚えたものの数や結果を比較しやすい能力の測定に依存しています。たとえ独創的な考え方や創意工夫する力を持っていたとしても、それはないものと等しく評価されてしまうのです。その結果、子どもたちの独自の創造性は見失われ、自分には「才能がない」と勘違いしてしまうのです。アメリカの教育学者、エリオット・W・アイスナーの言葉を借りれば「大事なものすべてが測定可能というわけではないし、測定可能なすべてものが大事だというわけでもない」のです。

・こうした評価の性質が、子どもたち、さらには先生や学校に過度な圧力やストレスを与えること
評価が限定的であることは、子どもたちだけでなく、学校の活動にも負のスパイラルを持ち込んでしまします。評価は学校という組織や先生の優位性の判断に使われ、それに基づいて学校の順位やお金、機材などのリソースの配分が行われてしまうのです。ますます教育現場は数値を上げるために努力をし、本来の教育評価をするゆとりがなくなってしまうのです。
学校や塾での進学実績や点数を上げなければならないプレッシャーは、教師の望む行動や評価の選択肢を狭め、教育の可能性さえもさえぎってしまうのです。

では、評価はどのようであるべきでしょうか。
評価は、教育のすべて、最終的なものとして捉えるのではなく、子どもたちの進歩や到達度について判断するプロセスであり、一人ひとりの成長を支えるものであるべきです。評価は、日々の学習のプロセスと自然に融合するものであるべきなのです。
そして子どもたちの創造性や才能を解き放つためには、評価と学習を切り離さず、様々な方法を日々の学習プロセスに導入すべきです。作品の生徒同士の相互評価や自分の評価を表現すること、エッセイ、プロジェクト、ポートフォリオ、あらゆる媒体での課題。様々な形を証拠として利用できるはずです。そうした多種多様な評価は創造性を育む教育に欠かせないものなのです。

無機質な評価に創造性を損なわれた子どもたちは、失敗を恐れ冒険を避けるようになり、挑戦と改善の試行錯誤を学ぶ機会と意欲を永久に失っ てしまうかもしれません。評価こそ、今見直すべき大切な要素なのです。


  1. 振る舞いを解き放つハードとソフトを設計する
学び舎は物理的な空間であり、学びのコミュニティとしての環境です。そのため、学び舎とそれを構成するあらゆる物や仕組みを切り離して考えることはできません。
机、椅子、黒板、床、壁、機材、余白、下駄箱、ロッカー、教壇。学校を成すあらゆるモノは、実は子どもたちの振る舞いを限定するようなメッセージをもっています。
机と椅子が教室いっぱいに敷き詰められていたら、そこは座る場所ではないという振る舞いを要求します。逆に、机と椅子は自由に移動でき、ホワイトボードもいくつもある場合、複数のグループで話し合いをするような振る舞いをメッセージとして与えるでしょう。また、少し硬めの椅子は緊張感を与え、柔らかい椅子は安心や心地よさを感じるはずです。
学び舎を形成する物理的な環境は、その学び舎がもつ学びのあり方や考え方、文化を反映するものになるのです。そしてそれは、コミュニティの雰囲気やモチベーションに影響を与えるものなのです。
学校や塾では、子どもたちに、もじもじせず座っていることが期待される場面がとても多いです。ですが私たちはロボットではなくそれぞれに気質や感情を持つ生き物です。そしてそこは決められた動作が求められるような工場ではありません。活動に応じて、必要なスペースや雰囲気、振る舞いの多様な選択肢があってもよいのではないでしょうか。

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